「ふつう」と「特別」を分けない教室へ、子どもの多様性から考えるインクルーシブ教育
子育てノウハウ
2026.09.11
「多様性」や「誰一人取り残さない」という言葉を耳にする機会が増えました。
しかし、その中には本当にさまざまな子どもが含まれているのでしょうか。
一般社団法人UNIVA理事の野口晃菜さんの指摘から、インクルーシブ教育と共生について考えます。
(※2026年4月8日の朝日新聞の記事を参考にしています)
目次
「多様性」の中に誰を思い浮かべているか
朝日新聞の連載「『共生』を考える」は、「共生」を掲げたイベントに障害に関するテーマや障害のある人の登壇がなかったことを、小説家の市川沙央さんが批判したことをきっかけに始まりました。
「共生」や「多様性」という言葉を使っていても、実際には想定されていない人がいるという問題です。
学校現場とインクルーシブ教育の実践に取り組んできた一般社団法人UNIVA理事の野口晃菜さんは、さまざまなマイノリティーの当事者や家族との対話を重ねてきました。
そこで聞かれるのが、「その『多様性』の中に、私は含まれていますか?」「うちの子は含まれていますか?」という問いだといいます。
この言葉はとても印象に残ります。
私自身も「いろいろな人がいていい」という言葉には自然に賛同できますが、では具体的にどのような人を思い浮かべているかと問われれば、その範囲は意外と狭いかもしれません。
野口さんは、私たちが限定的な多様性しか想像できない背景には、幼い頃から出会ってきた人が限られ、日常そのものが多数派を中心につくられていることがあるのではないかと指摘しています。
すでに教室の中にはさまざまな子どもがいる
現在の一つの教室にも、さまざまな背景や特徴を持った子どもがいます。
障害のある子ども、日本語以外の言語を第一言語とする子ども、特定の分野で特異な才能を持つ子ども、経済的に困窮している家庭の子ども、不登校状態にある子どもなどです。
こうした子どもたちは突然現れたわけではなく、以前から存在していました。
それでも現在が「多様性の時代」と呼ばれる理由について、野口さんは、それぞれの「ちがい」が見えるようになり、その人数も無視できないほどになっているからではないかと考えています。
不登校状態にある子どもだけでも35万人を超えています。
また、子どもの数が年々減少している一方で、特別支援学級や特別支援学校に在籍する子どもの数は増えています。
こうした状況を知ると、「一部の特別な子どもについて考えること」がインクルーシブ教育なのではなく、そもそも子どもたちは一人ひとり違うというところから教育を考える必要があるように感じます。
「ふつう」に合わせられるかで分けてきた教育
これまでの学校では、一日に5~6時間の授業を受け、一つの授業を45~50分で進めるといった仕組みに適応できることが、一つの前提になってきました。
一方、いわゆる「ふつうの教室」で学ぶことが難しいとされた子どもには、特別支援学級や特別支援学校、教育支援センターなど、別の学びの場を用意することで対応してきました。
もちろん、子どもに合った環境や支援を用意すること自体は大切です。
ただ、野口さんが問いかけているのは、子どもを「特別なケアが必要な人」と「そうではない人」に明確に分けられるのかということです。
例えば、不登校は年間30日以上の欠席という定義がありますが、30日に満たなくても頻繁に休む子どもや、特別室で登校している子どももいます。
こうして考えると、「ここからが特別」と一本の線を引くことの難しさが分かります。
保育の場でも、同じ年齢だからといって、得意なことや苦手なこと、安心できる環境が全員同じとは限りません。
子どもを既存の枠に合わせることだけでなく、その枠のほうを見直せないかという発想も必要なのではないでしょうか。
一緒に過ごす経験が未来の「共生」につながる
野口さんは、「ふつうの教室」に適応することが難しい子どもに別の場所を用意してきた結果、私たちが共生する方法を学ぶ機会も失われてきたのではないかと問いかけています。
企業の管理職からも、障害のある人や外国にルーツを持つ人など、さまざまな背景の人と一緒に働くにはどうすればよいのかと質問されることがあるそうです。
子どもの頃から異なる背景や特徴を持つ人と接する機会が限られていれば、大人になって突然「多様な人と共生しましょう」と言われても、戸惑うのは不思議ではないように思います。
違う相手と過ごせば、思い通りにならないことや、工夫しなければならない場面もあるでしょう。
しかし、そうした経験そのものが、相手を知り、一緒に生活する方法を考える機会にもなるのではないでしょうか。
野口さんが提案しているのは、子どもを「ふつう」と「特別」に分けるのではなく、「ふつうの教室」そのものを多様な子どもがいることを前提とした場所へ変えていくことです。
インクルーシブ教育という言葉を聞くと難しい教育制度の話に感じますが、根底にあるのは「違う人とどう一緒に生きていくか」という、私たち全員に関係する問いなのだと思います。
子どもの頃からさまざまな人が同じ場所にいることが自然になれば、「共生」という言葉を特別に掲げなくても、お互いの違いを前提に暮らせる社会へ近づいていくのかもしれません。