家事・育児を「見えない労働」にしない社会と支える仕組みがほしい!
キッズパーク豆知識
2026.09.04
子育てや家事は、毎日の暮らしに欠かせないものです。
しかし、その負担や価値は社会の中で十分に認識されているのでしょうか。
「ウィメンズ・ストライキ」と過去の「家事労働に賃金を」運動から、育児や家事を個人だけの責任にしない社会について考えます。
(※2026年2月18日の朝日新聞の記事を参考にしています)
目次
暮らしの中の「働く」を問い直すストライキ
昨年10月24日、「ウィメンズストライキの会」による企画が行われました。
「デモ的ピクニック」に続く夜の勉強会では、主催者の一人で貧困やフェミニズムを研究する堅田香緒里さんが、英国のフェミニスト運動家セルマ・ジェームズさんのビデオメッセージを紹介しました。
95歳のジェームズさんは仲間たちに囲まれ、グローバル・ウィメンズ・ストライキに合わせて行動を起こすことを呼びかけました。
堅田さんは以前から、婚活や朝活といった「活」に象徴されるような、個人に努力を求め続ける社会について問題を提起してきました。
生活が苦しい状況でも一人ひとりがさらに努力するのではなく、「国が個人の努力に頼るな」「ただ生きていける社会にしよう」という考え方です。
子育てについても、似たところがあるように感じます。
仕事をしながら育児や家事をこなし、それでも大変ならさらに工夫するという考え方だけでは、いつか限界を迎えてしまう家庭もあるのではないでしょうか。
出産や育児、家事も「労働」として考える
勉強会では、ジェームズさんらが中心となって1970年代に国際的に展開した「家事労働に賃金を」運動についても紹介されました。
この運動では、出産や育児、家事も「労働」であることを示そうとしました。
そして、女性や植民地などからの収奪によって維持される「家父長制的資本主義」を変えることを目指していました。
家事や育児は生活の中で当たり前に行われるため、外からは負担が見えにくいものだと思います。
食事の準備や子どもの世話など、一つひとつを誰かが担わなければ生活は成り立ちません。
それでも、家庭内で行われることは「仕事」とは別のものとして捉えられやすいのではないでしょうか。
子どもを預かるベビーシッターや保育の仕事を考えてみても、家庭の外では仕事になる行為が、家庭内では当然の役割として扱われることがあります。
だからこそ、育児や家事を誰が、どのような負担で担っているのかを考える視点には意味があると感じます。
「賃金」だけではなかった運動の本来の問い
「家事労働に賃金を」という言葉を見ると、家事を金額に換算する運動だったと思う人もいるでしょう。
実際、漫画「逃げるは恥だが役に立つ」がドラマ化された際には、妻に家事の対価を支払う「契約結婚」が描かれ、「主婦の家事を年収に換算すると」といった議論も盛り上がりました。
私も家事や育児の大変さを金額で示せば、その価値が分かりやすくなるように思います。
しかし、堅田さんによると、当時の運動で重要視されていたのは、賃金を得ることだけではなく「ストライキ」でした。
本来は労働を拒否することの延長線上に賃金の要求があったものの、「家事労働に賃金を」というスローガンだけが広まり、「主婦賃金」を求める運動として捉えられるようになったといいます。
その結果、フェミニストからも、女性を家庭内にとどめることにつながるのではないか、家事を商品として扱うことになるのではないかといった批判を受けました。
堅田さんは、「労働の拒否」と切り離して金銭だけを求めれば、本来変えようとしていた社会の仕組みに合わせる方向へ変化してしまう可能性を指摘しています。
単に「家事にはこれだけの価値がある」と金額をつければ解決するわけではないという点は、私にとっても興味深い視点です。
個人の頑張りだけに頼らない子育てを
現在では、女性の管理職や議員を増やすなど、これまで男性が多かった立場に女性が進出することが求められています。
こうした機会を広げることは重要です。
一方で、一部の女性が力のある立場に進むだけで、育児や家事を担う人たちの暮らしまで自然に良くなるのかという疑問も示されています。
これは子育て中の家庭について考えるうえでも無関係ではないと思います。
子育てでは、保護者自身が頑張ることだけでなく、保育施設やベビーシッターなど、家庭以外の人に頼る場面もあります。
誰かに助けを求めることを「努力不足」と考えるのではなく、そもそも子どもを育てながら無理なく暮らせる社会になっているかという視点も必要ではないでしょうか。
今回紹介された運動が投げかけているのは、単に家事や育児にお金を払うべきかという問いだけではありません。
私たちが当たり前だと思っている家事や育児を誰か一人の負担にせず、暮らしを支える役割として社会全体でどう考えるのかという問いにも見えます。
子どもを育てる家庭が「もっと頑張らなければ」と追い込まれるのではなく、必要なときには周囲の力を借りながら生活できることについて、改めて考えるきっかけになるのではないでしょうか。