働くママを苦しめる「料理は愛情」毎日の食卓をもっと気楽に

子育てノウハウ

品数や彩り、栄養バランスまで整った食卓を毎日用意するのは、決して簡単ではありません。
料理に苦手意識や罪悪感を抱く背景には、個人の能力だけでなく、社会が作ってきた「料理の理想像」が関係しているようです。
(※2026年3月27日の朝日新聞の記事を参考にしています)

料理が苦手だと感じるのは努力不足なのか

小説家の佐々木愛さんは約15年前、職場の女性から「レシピ本を買うのは料理が下手な人の考え方だ」と言われました。
佐々木さん自身にも、冷蔵庫にある食材だけで手早く料理を作れる人への憧れがあり、同じようにできない自分を引け目に感じていたそうです。

秋田県の実家では、畑の野菜や自分たちで栽培したキノコが食卓に並んでいました。
料理上手な母親が炊き込みごはんや主菜を作り、同居する祖母がみそ汁や自家製の漬物を用意していました。

しかし、一人暮らしを始めると、献立を考えることや食材の皮をむくこと、肉に火が通ったか判断することにも不安を感じるようになりました。
料理は次第に、楽しみではなく「できればやりたくないもの」になったといいます。

料理上手な家族を身近に見て育ったからこそ、無意識のうちに高い基準を持ってしまったのかもしれません。
一般の立場から考えても、慣れた人の手際と自分を比べれば、自信を失ってしまうのは無理もないと感じます。

ミールキットを使っても消えない罪悪感

佐々木さんは29歳で結婚し、8年前に子どもが生まれてからも、料理に対する苦手意識は変わりませんでした。
現在は、必要な食材や調味料がそろい、簡単な調理で完成するミールキットを利用しています。

献立を考えなくてよく、余った食材の使い道に悩む必要もないため、毎日の負担を軽減できます。
それでも佐々木さんは、十分に料理をしたという達成感よりも、「これでよいことにしよう」という気持ちになるそうです。
子どもにとってミールキットの料理が家庭の味になるのだろうかと考えることもあります。

しかし、家庭の味は、必ずしも材料を一から準備して長時間かけて作った料理だけではないはずです。
家族が同じ食卓を囲み、安心して食べられるのであれば、それもその家庭にとって大切な味ではないでしょうか。

仕事や育児をしながら毎日献立を考える生活では、便利なサービスに頼ることも現実的な工夫です。
ミールキットや総菜を使うことと、家族を大切に思う気持ちは、別の問題として考えてよいように思います。

「料理は愛情」という言葉が生む重圧

世の中には「料理は愛情」「食べることは生きること」といった言葉があふれています。
温かい意味を持つ言葉ですが、料理が苦手な人にとっては、自分には愛情が足りないと言われているように感じる場合もあります。

佐々木さんは、料理と愛情を結び付ける風潮への違和感を、5年前に小説「料理なんて愛なんて」として描きました。
作品では、料理が苦手な主人公が「素敵な女性は料理上手である」という価値観に苦しみます。
読者からは「価値観が古い」という意見と、「料理は愛情だ」という意見の両方が寄せられました。

佐々木さんは、自分を新しい考え方と古い考え方の間にいる人間だと捉えています。
頭では料理ができなくても負い目を感じる必要はないと理解しながら、心には昔からの価値観が残っているのでしょう。

この揺れは、多くの人にも覚えがあるのではないでしょうか。
便利なものを使えばよいと思う一方で、手作りしなければ申し訳ないと感じてしまうことがあります。
価値観は時代とともに変わっても、長く身に付いた思い込みをすぐに手放すのは難しいものです。

自分がおいしいと思える地点を決める

初心者向けの料理教室を開く「自炊料理家」の山口祐加さんは、多くの参加者が「料理はこうあるべきだ」という考えに縛られていると感じています。
料理は掃除などと異なり、手間や技術をどこまでも高められる家事です。
上を見続ければ、自分はいつまでも理想に届いていないという感覚になりやすくなります。

山口さんは、料理とは基本的に食材を切り、火を通し、味を付けることだと説明しています。
大切なのは、世間が評価する料理を目指すことではなく、自分がどの程度の油分や塩分、風味をおいしいと感じるのかを知ることです。

料理に正解はなく、好みの味も人によって異なります。
自分が何を食べたいのか分からないままでは、料理を作っても、どこを直せばよいのか判断しにくくなります。

山口さんは、家族のためだけでなく、自分のために料理を作ることも勧めています。
誰かに喜んでもらうためではなく、おなかがすいたから食べたいものを作ると考えれば、料理の目的はもっと単純になります。

苦手な作業や、やりたくない工程を把握し、それを避けられる料理を選ぶことも一つの方法です。
何品も並べることを目指すのではなく、「自分はここまでできれば十分」と決める考え方には、日々の食事を楽にする力があると感じます。

料理の理想像は社会の中で作られてきた

食の歴史に詳しい法政大学教授の湯澤規子さんは、現代の料理に対する重圧の背景に、専業主婦の誕生、キッチンの普及、レシピの高度化があると指摘しています。

高度成長期には専業主婦が増え、一人の人が料理と向き合うキッチンが広まりました。
主婦向けのレシピも高度になり、それを身に付けることに生きがいを感じる人も多かったといいます。

女性の生き方や家族の形が変化した現在も、当時作られた家庭料理のモデルが「ちゃんとした料理」として残っています。
さらにメディアは、「おふくろの味」や「モテる料理」など、表現を変えながら理想的な料理像を発信してきました。

そう考えると、料理ができないことへの罪悪感は、本人だけの問題ではありません。
社会の中で作られた基準に合わせようとして、苦しくなっている可能性があります。

食事は毎日続くものだからこそ、理想を追い求めすぎれば疲れてしまいます。
手作りでもミールキットでも、その日の生活に合った方法で食べることができれば、まずはそれで十分ではないでしょうか。