日本語も母語も十分に学べない子どもたちに必要な支え
子育てノウハウ
2026.07.24
外国にルーツを持つ子どもの中には、日本語だけでなく、家庭で使う母語も十分に身につかないまま成長する子がいます。
言葉が分からないことで学習や生活につまずく子どもたちに、周囲は何ができるのでしょうか。
目次
宿題の内容以前に言葉の壁がある
昨年12月末、愛知県小牧市の公民館では、ボランティアスタッフが外国籍の子ども約10人の学習を手伝っていました。
その中に、2年ほど前に来日した小学4年生のベトナム人、ファンさん(仮名)がいました。
学校から出された宿題は「お正月の俳句」です。
スタッフは翻訳アプリを使い、俳句の仕組みや日本のお正月について説明しました。
しかし、ひらがなを何とか読める程度のファンさんにとって、ふりがなのない漢字が並ぶ教材を理解するのは簡単ではありませんでした。
さらに、日本のお正月そのものに十分ななじみがなければ、俳句の題材を思い浮かべることも難しいでしょう。
単に「宿題ができない」と見るのではなく、問題文の意味や文化的な背景から分からない場合があることに気づく必要があります。
私たちは、子どもが鉛筆を止めていると、つい集中していないと思ってしまいがちです。
しかし実際には、どこから質問すればよいのかさえ分からず、困っているのかもしれません。
スタッフに励まされながら、ファンさんは最後まで諦めず、俳句を完成させました。
どちらの言語も十分に使えない状態
教室を主催するのは、NPO法人にわとりの会代表理事の丹羽典子さんです。
丹羽さんは、日本語と母国語のどちらもうまく使えない「ダブルリミテッド」と呼ばれる状態の子どもたちを支援してきました。
子どもが学ぶ意欲を失ったとき、周囲が何もしなければ、ダブルリミテッドの状態に陥る可能性があると指摘しています。
NPO法人青少年自立援助センターの田中宝紀さんは、思考の土台となる母語が確立されないと、物事を深く考えたり、抽象的な内容を理解したりすることが難しくなると説明しています。
そのため、日本語だけを覚えさせるのではなく、母語も含めた両方の支援が重要だといいます。
日本で暮らすのだから日本語だけを学べばよいと考える人もいるかもしれません。
私も最初は、学校生活では日本語の習得が最優先なのではないかと思いました。
しかし、気持ちを整理し、考えを組み立てるための言葉まで失ってしまう可能性があると知ると、母語を守ることの大切さも理解できます。
言葉で気持ちを表せなければ、子どもの不安や苦しさが周囲に伝わらないままになってしまいます。
助けを求める言葉さえ持てなかった
現在23歳のリカルドさん(仮名)は、2歳から東海地方で育ちました。
両親はブラジル人で、家庭ではポルトガル語を使っていました。
しかし、現在も日本語の読み書きは小学校3年生程度で、ポルトガル語もほとんど読めないといいます。
小学校に入った時点で周囲との日本語力には大きな差があり、先生の話も、黒板の文字も十分に理解できませんでした。
分からないことが多すぎて、何を質問すればよいのかも分からなかったそうです。
学校からの配布物を親が読めず、忘れ物をして叱られることもありました。
子どもだけでなく、保護者も日本語を読めない家庭では、学校からのお知らせを受け取るだけでも大きな負担になります。
このような事情を知らずに、忘れ物や欠席だけを見て本人や家庭を責めてよいのか、疑問が残ります。
リカルドさんは小学2年生の終わりから学校へ行かず、家に引きこもるようになりました。
小学6年生になると将来への不安からパニック障害を起こし、何度も死のうとしました。
中学校では再び通学しようとしましたが、授業で使われる日本語が分からず、学ぶことを諦めました。
その後は工場で働き、うつ病も経験しながら生活を続けてきました。
今でも、スーパーで肉の種類や原材料表示を十分に読めないなど、日常生活の中で言葉の壁に直面しています。
子どもの沈黙を見過ごさないために
リカルドさんは、子どものころ、自分の気持ちを表す言葉を「怖い」くらいしか知らなかったと振り返っています。
気持ちを言葉にできれば、誰かに相談し、助けを求められたかもしれないと話しています。
この言葉から、会話ができることと、自分の考えや感情を十分に伝えられることは別なのだと感じます。
日常会話ができているように見える子でも、授業の内容や複雑な気持ちを表す言葉が身についていない可能性があります。
大人が「日本語を話しているから大丈夫」と判断するだけでは、見えない困難を見落としてしまうでしょう。
学校、家庭、地域の支援者が連携し、日本語と母語の両方を学べる機会を守ることが大切です。
翻訳アプリや学習支援教室だけですべてが解決するわけではありませんが、子どもが諦める前に手を差し伸べるきっかけにはなります。
分からないまま黙っている子どもを、本人の努力不足として片づけないことが第一歩です。
言葉を学ぶことは、授業についていくためだけではありません。
自分の気持ちを理解し、誰かに伝え、助けを求めながら生きていくためにも欠かせないものだと思います。