「子持ち様」と揶揄され・・・社会は子育てに寛容になるのか?

子育てノウハウ

医療的ケアが必要な子どもを支える中で、母親が精神的に追い込まれてしまう事件や、日常生活で浴びる無関心や冷ややかな視線。
少子化の背景に女性だけが責任を負わされるような風潮に対し、ライターのヒオカさんは今回の寄稿で、出産や子育てにおける男女間の不平等について問題提起しています。
(※2025年3月19日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

医療的ケア児を育てる母親たち、ひとりで背負うには重すぎる現実

昨年、たんの吸引が欠かせない8歳の娘を自宅に置いたまま死亡させたとして、母親が逮捕されるという痛ましい事件が発生しました。
報道によれば、娘さんは生後まもなく脳に障害が見つかり、長らく寝たきりの生活を送っていたとのことです。
父親は別居しており、母親は3人の子どもをひとりで育てていたそうです。おそらく、約8年間にわたり、介護を続けてこられたのでしょう。
この事件が報じられると、SNS上では医療的ケアを必要とする子どもを育てる母親たちからの切実な声が次々とあがりました。
数時間ごとに体の向きを変え、たんの吸引を行わなければならず、まとまった睡眠をとることも困難です。
支えてくれる人が身近におらず、その重荷は母親ひとりにのしかかります。
障害のある子どもが生まれたとき、仕事や生活のスタイルを変えざるを得ないのは、たいてい女性です。
限界を超えて、いっそ子どもと一緒に命を絶つしかないと追い込まれ、最後の望みをかけて行政に相談しても、「家庭で育てるのが基本です」と冷たく対応されることもあるといいます。

少子化の責任は誰に?社会全体で考えるべき課題

現在、夫婦のおよそ4.4組に1組が不妊治療を経験していると言われています。
しかし、治療に取り組む女性たちからは、「男性が積極的に関わろうとせず、検査を避ける傾向がある」という声が少なくありません。
それでもなお、少子化の責任を女性だけに負わせることが妥当と言えるのでしょうか。
さらに見過ごせないのは、この社会そのものが、出産や子育てに不利な環境であるという現実です。
子どもを連れて外出すれば、「子持ち様」と揶揄され、迷惑がられることさえあります。
少子化が進行すれば、年金制度をはじめとする社会保障の仕組みが維持できなくなり、社会の根幹が揺らぐことになります。その影響は全員に及ぶにもかかわらず、どこか他人事のように扱われているのが現状です。

「ズルい」の裏にある社会のひずみ

子育て世帯に対する給付金について、「独身には恩恵がなく不公平だ」との声が上がることもあります。
しかし、実際には1人の子どもを育てるために必要な経済的・精神的負担を考えれば、その支援は微々たるものでしかありません。
職場においても、子どもを持つ社員が急な呼び出しやお迎えで早退すれば、その穴埋めを独身の社員が担わされるケースが多く、不満が募りがちです。
ただし、それは働き方の調整を行うべきマネジメントの責任であって、独身者と子育て中の人の対立を生むべきではありません。
また、妊娠中の女性に席を譲らなかったり、ベビーカーに対して攻撃的な態度を取る人がいるのも事実です。
かつて、電車の中で少し声を上げた子どもに対して、怒鳴る年配の男性を目にしたこともあります。
こうした冷ややかな反応の積み重ねが、子どもを持つこと自体をためらわせるような空気を社会全体でつくり出しているのではないでしょうか。

見過ごされがちな母親の苦しみ

ある女性は、2人目の出産時に逆子だったため、帝王切開を選択しました。
ところが術後の回復が思わしくなく、1か月以上も日常生活に支障をきたす状態が続いたのです。
やつれ果てた表情や、以前とはまるで別人のような様子に、私は大きな衝撃を受けました。
身体を動かすだけでもつらい状況でありながら、パートナーは不規則な勤務に追われて多忙であったため、上の子の世話をひとりでこなさなければならなかったそうです。
帝王切開には一定のリスクが伴い、避けることはできません。
また、自然分娩であっても、大量出血や会陰切開の傷による強い痛みなど、身体への負担は決して軽くないのです。

子どもを望めない現実。経済とジェンダーが交差する

経済的な不安も、大きな要因のひとつです。
私自身、奨学金の返済に追われ、自分の生活を維持するだけで精一杯というのが現状です。
とても他の誰かを支える余裕など思い描けません。
近年の物価上昇に加え、社会保険料の負担も増し、手取り収入は減少しています。
子どもを望んでも、経済的理由から断念せざるを得ない若者は少なくないでしょう。
本来であれば、介護や経済の課題に向き合うのは政治の役割です。
それにもかかわらず、こうした構造的な問題には触れず、すぐに個人の責任、特に「女性の選択」にすり替えられてしまうのはなぜなのでしょうか。
率直に言えば、もし私が男性であれば、将来的に子どもを持つことを前向きに考えられたかもしれません。
つわりに苦しむことも、命をおなかに宿す重圧や責任を抱えることも、産休による収入減や、出産の痛みを経験することもありません。
そして、復職後にキャリアが停滞する「マミートラック」の懸念を持たずに、親になれるのです。

共働き社会の矛盾、母親に偏る子育ての現実

父親が子育てに関わる際、どこか「手伝っている」という扱いが未だに容認されているように感じられます。
もちろん、積極的に育児に関わっている父親も多く存在することは承知しています。
しかし、総務省統計局のデータ(2021年)によれば、6歳未満の子どもを持つ家庭における家事関連の平均時間は、夫が1日あたり1時間54分、妻は7時間28分となっており、その差は歴然です。
2001年からの推移を見ると、多少の改善はあるものの、大きな変化は見られず、ほぼ停滞していると言えるでしょう。
現在では共働きが一般的となり、多くの女性がフルタイムで働いているにもかかわらず、なぜこのような不均衡が是正されないままなのか、疑問が残ります。
このような社会状況の中で、「子どもを産もう」と思える人が少なくなるのは当然のことかもしれません。
出産は、それまでの生活やキャリア、そして人生そのものを大きく変えてしまう可能性があります。
その負担の多くは、母親に偏ってのしかかるのが現実です。そんなリスクを個人がすべて背負わなければならない社会は、あまりにも非情ではないでしょうか。