母性愛神話は少子化を加速させる!?

キッズパーク豆知識

恵泉女学園大学の学長であり、発達心理学を専門とする大日向雅美氏は、長年にわたり「社会における母性の捉え方」に関する研究を続け、著書などを通じて問題提起を行ってきました。
現在、日本で少子化が深刻化する中、この状況をどのように考えているのでしょうか。
(※2024年11月29日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

「母性愛神話」と社会の価値観を問う

社会に根付く「母性愛神話」に警鐘を鳴らした著書『母性愛神話の罠』が出版されたのは、2000年のことでした。
1970年代初頭、駅のコインロッカーに新生児が遺棄される「コインロッカーベビー事件」が発生したことをきっかけに、この問題について研究を始めました。
当時の社会では、「母性喪失の時代」として母親たちを一方的に非難する風潮が強まっていました。
私は、日本社会において母性愛神話は政策的かつ意図的に利用されてきたと考えています。
戦後の高度経済成長期には、重工業が経済の中心を担い、長時間労働が可能な男性が主に働き、女性は家庭で家事や育児に専念するという役割分担が必要とされていました。
しかし、その考えを正当化するために、「母親が家庭を離れると子どもの成長に悪影響を及ぼす」といった誤った論理が広められたのです。

母性愛神話と女性の生き方、少子化対策の本質とは

高度経済成長期が終わり、日本が低成長期に入ると、福祉予算の削減が進むなかで、育児や介護の負担を女性に担わせる手段として、母性愛神話が再び利用されるようになりました。
現在、少子化の要因として未婚率の上昇が指摘され、結婚を希望する人々の出会いを支援する政策も打ち出されています。
出会いの機会を増やす取り組みには一定の理解を示しますが、それを少子化対策と位置づけることには違和感を覚えます。
結婚は必ずしも子どもを持つためのものではありません。不妊に悩む方もいれば、あえて子どもを持たないという選択をする方もいます。
日本社会は、これまで女性の多様な生き方を十分に認めてこなかったのではないでしょうか。
本来、目を向けるべきなのは、その問題なのだと思います。

性別役割分業と母性愛神話。経済政策としての背景

戦後の復興を目指す中で、日本社会が性別役割分業を推進したのは、高度経済成長を支えるための一つの手段であったと考えられます。
しかし、その際に「これは経済的な必要から生まれたものだ」と国が明確に伝えなかったのは、なぜなのでしょうか。
その代わりに、「女性は生まれつき母性本能を持ち、それを活かさないのは不自然だ」といった母性愛神話によって、女性の役割を固定化してしまいました。
「女性は結婚し、子どもを産むのが当然」といった価値観を押しつけられることに、違和感を覚え、息苦しさを感じてきた女性も少なくなかったのではないでしょうか。

見えにくい苦悩とこれからの少子化対策は

家庭という社会の目が届きにくい場で、多くの女性たちは大きな苦しみを抱えながら生きてきました。
1970年代から80年代にかけて、その苦しみは育児ストレスや育児不安として表面化し、「育児がつらい」「もう産めない」といった切実な声となって社会に現れました。
同時に、経済の仕組みも変化し、女性の高学歴化が進み、キャリアを持って働くことが当たり前になりました。
自分の人生を自由に選ぶことができなかった祖母や母親の姿を見てきた女性たちが、新たな道を求めるのは、自然な流れだったのではないでしょうか。
今、国や社会に求められていることは何でしょうか。
私は、今後10年から20年は出生数や出生率の増減に一喜一憂せず、その間に子どもや子育て世帯への支援を充実させるべきだと考えます。
「安心して結婚でき、子どもを育てられる」―― その実感が社会全体に広がったとき、初めて次の世代の選択が変わる可能性が生まれるのではないでしょうか。

子どもを取り巻く環境と社会の責任

例えば、小学生が放課後を過ごす学童保育は、十分な受け皿が確保されておらず、子どもたちは「すし詰め状態」の中で過ごしています。
指導員の負担も大きく、十分な安全が確保できるのか、不安を抱えながら子どもを預けている保護者も少なくありません。
また、不登校の子どもが増えているにもかかわらず、対応するスクールカウンセラーの配置は十分とは言えません。
子どもと向き合う仕事に従事する人々の待遇改善は、早急に取り組むべき課題です。
さらに、子どもが家族と過ごす時間を確保できるよう、働き方の見直しも求められています。
生まれてくる子どもが皆、健常児であるとは限りません。
障害のある子どもを育てる親たちは、「自分が亡くなった後、この子が安心して生きていける社会なのか」と不安を口にします。
親が「安心して死ねる」と思える社会とは、どのような社会なのでしょうか。
私たちが考えるべきことは、まだたくさんあるはずです。